2025/03/08 17:05

『家は
あらゆる窓、すべての扉を固く閉じながら
夕日の侵入を奥まで許していた』 -飯島耕一
僕は回り道が嫌いなタイプです。
最短ルートで目的を果たしたいと思っている。お腹が減って外で食べる時、決まって自宅に帰るまでの道沿いにあるお店を選ぶ。
車の運転であれば道路の進行方向沿い(左手)にあるお店に寄りたい。
ここでの僕の最大の目的は「空腹を満たす」事である。
それ以外の事、「食すモノ、味、お店、時間、料金」なんてものはあくまでも目的に対するプロセスに過ぎない。
もっと言えば「空腹を満たす」事さえもプロセスであり、他でその時々で考えている事、例えば「家に着いて洗濯物を回さないと。あの人に連絡返さないと。」などが主な目的になる事もある。とはいいつつ、空腹を我慢するのも嫌だし、おまけに美味しいモノが食べたいのです。我儘?面倒臭がり?いや偏屈なだけ。
この間中華屋にいきました。
そこは自宅との逆方向に位置する人気店。もしかしたら席が空くまで待つ事になるかもしれないし、お腹はかなり減っていた。
「空腹を満たす」ことだけを目的とする僕にとってはかなりきつい。さらにその時は帰宅してからする事もあり、面倒臭いに拍車がかかる。
しかし、友人の猛プッシュもあり結局お店に向かう。
到着すると案内に時間がかかることなく、すぐ席につけた。メニューラインナップを見ると他の中華屋と変わりないが、価格はリーズナブルだった。
注文してから間も無く料理が運ばれてきた。
そして食す。「うまい」 また食す。
誤解を恐れず言うと"薄味"であった。というのも中華料理は"濃味"という元々の認識があるからかもしれない。ただ"薄味"というわけでなく、奥行きを感じる出汁の存在。
僕が注文した料理の要は醤油だった。しかし、醤油をまるでついでのように感じさせる程の出汁の強さであり、前に出過ぎないバランスだった。
「メインがサブ。サブがメイン」

料理も食べ終わりお店を後にした。
いつもだと中華料理を食べた後は口内も中華料理が埋め尽くす。それがない。何を食べたか忘れてしまう程にスッキリとした後味。訪れたのは底知れぬ満足感だった。遠回りもしてみるものだな。また行こう。
偏屈な僕が言うのはおかしいが、その中華屋もある種偏屈だと思う。そして憧れた。
それは、「捻くれながらも馴染んでいるから」だった。
馴染もうとするから捻くれているようにも思う。物事をできるだけ正確に見よう、捉えようとすればするほど、世間で幅を利かせている因襲、通念、権威、制度、規範等に囚われまい、物事それ自体に即して見よう、捉えようとせざるを得ない。その結果、良識ある市民を自任している人の目にそれがどんなに奇異に映ったとしてもおかしくはない。


「捻くれながらも馴染む」
そんな男で。そんな服屋で。そんな格好でいたいものです。
Mozzie