2024/09/12 19:00


0を1にする。というより

1を2にする。方が好きだ。

好き。というより

得意。という方が正しいのかも。


自己的な枠組みにおいて、なのか。

世間的な枠組みにおいて、なのか。


形成や構築するのではなく、されたもの。

既存するものを昇華していく。

領域からみた領域外なもの。

そんな外れた"無駄"なことを愉しむ。


"無駄"に見えることが必要だったりもする。

僕たちは"無駄"な「あそび」を繰り返し、愉しさを覚え興奮している。



車でもあるじゃないですか。あそびって。

急激にハンドルやブレーキを操作しても、いきなり車が方向を変えたり急停止しないためのゆとり。


その結果安全性が向上する仕組み。

機械と人間の判断、行動とのインターフェースとなっている。


そんな感覚で、「あそび」は僕とファッションを繋ぐインターフェースにおける"無駄"だったりする。


無駄ってバッドなイメージですよね。

役に立たないこと。余計なこと。効果がないこと。

ちなみに、僕も無駄は嫌いです。

だって、面倒くさいから。極力省きたいくらいです。


けれどもファッションにおける"無駄"は、自らが好んでする。創る。


一見すると"無駄"

それが愉しいところでもある。


ファッションの具体例でいうとなんでしょうね。

例えばですけど、下がジャージなら、上もジャージでいいはずなんです。それでどう見えるかみたいな身なりから受ける印象は置いておいて。

生活様式や機能的な面を視野に入れたとしてもそれでよかったりする。

何なら上下同じメーカーだったり。


それが僕たちはなんだかつまらない。


こんなことファッションしていると当然の様な事かもしれない。


パンツがジャージなら上はレザー着ちゃう。シャツ着ちゃう。カルチャーや時代的にはこうだけど、違うようにやってみる。みたいな。

そんな当たり前でもある"無駄"なことを僕たちは愉しんで創る。


当たり前にあるサイクルから外れる。いや外す。抗い争う。


モダニズムな感覚を持ち合わせた、アナクロニズムな「あそび」。


ファッションと僕たちを繋ぐ"無駄"。

そんな"無駄"な愉しさを待ち合わせるファッション。


あまり言葉にしすぎても、せっかくの「あそび」が愉しくなくなるのでこのあたりで。



 Mozzie