2024/09/12 18:39


"摩擦"

摩擦とは、固体表面が互いに接しているとき、それらの間に相対運動を妨げる力(摩擦力)がはたらく現象をいう。

軽いお話。

「服を着る」

今日、明日何を着ようか。

ふとクローゼットを開けます。
この時服を実際に着ることはなく、床に置いて組み合わせを見ます。

試行錯誤。

「よし、できた。」

ようやく着てみる。
何かが違う。しっくりこない。思ってたものと違う。

皆さん、これよくなりませんか?
この事例は僕もよくなります。

特に時間がない時とか。
ハンガーに通したまま組み合わせて
「よし、こんな感じだろう」
就寝。
次の日、着てみる。
全然ダメ。
組み直し。あぁ、時間ないのに。

平置きでの認識と、実際のアウトフィットでの対峙。

おかしいな。自分的には思考的な組み合わせ(時代感、カルチャー、色味、ニュアンスなど)は良いはずなのに、人物を通すと何かが違う。

視覚というレンズを通して

"私という加工が入る"

「着用する」という作業の重要性が窺えます。

時代的にこの服がいい。
あの人がこれがいいという。
ぱっと見がかっこいい。
物に価値がある。

着てみる。似合う?のかな。よくわからない。服飾的な知識うんぬんもあると思う。
「着用するという経験値」が足りないのかな。
どうなんだろう。

自分を知る。とにかく着てみる。いや、
「着て、見る」

とにかく「服を着る」

"私"の重要性。

それは、ユニクロでも、セカストでセールになっていたものでも、古着屋さんで買ったものでも、ブランドのものでも

他の誰でもない

「あなたが着ている」

それでいて、自信が持てていて、おまけに、かっこいい、かわいいなんて思っている。とても気分がいい。

それは

「あなたが素敵だから」なんだと思う。

装いから受ける印象は確かに大きいが、それはあくまで2次作用なようなもの。

あなたがどんな人で、どんなことを考えて、どんなことを話して、どんな表情をとって。

心の装い。人というファッション。
善し悪しなんかで決めない。
いくら重ねてもそれは剥がれる。
取り繕うことなく、ありのまま。

だから「服を着る」

僕はこう見えて自信がないです。

だからお洋服を着ているのかもしれません。

自分に最大の自信があれば、極論裸でもいい。
ボロボロのジーンズに白のよれよれのTシャツでだっていい。

僕は「服を着る」

自分という表面に、衣服という表面が接して、うまれる摩擦。

テミスティオスは「動いている物体の運動をさらに強める方が、静止している物体を動かすより易しい」って言う。

自分の摩擦力を高める方が、服での摩擦力を高めるより容易。

マインドフルネスな話ですね。
認知行動。

昨日だって今日だって明日だって新品の服に袖を通すように、新しい自分と対面する。

お洋服の商売をしています。が、しかし

僕たちが選ぶ服を着ていただけているから素敵なのではなく

今日の皆さん自身が素敵なんです。って伝えたい。

そんな皆さんが、グッとくるお洋服や提案、あなた自身の摩擦力が高まるもの、それを一緒に考えて選べたりするお手伝いができることが幸せです。

ファッションって両価性が強いのではないかと思います。だから摩擦がおきるのかな。
相反している。相容れない。
大好きだけど大嫌い。近いけど遠い。浮きたいけど目立ちたくない。きれいだけどきたない。かっこいいけどダサい。

そんなことを思いながら僕たちは今日も

「服を着る」

僕たちとファッション。まだまだこれから。
楽しみましょう。

Mozzie